それに王子は呪いを返したが、呪いがかかった人間のことなど一つも覚えていなかった。もしかしたら、気に留めて居なかったのかもしれない。入学式の最中に目が合った時も、挨拶に行った時も、王子は俺が大祭に会った人間だと気がつかなかった。
「この前の大祭は滅多にないことが体験出来て面白かった」
 王子のいう滅多にないこととは、呪いを返すことだろうか。
 それは王子の暇つぶしだというのは解っていたことだ。しかし、王子の口から改めて聞くと、あまり気分のいいものではない。
 俺は呪いのせいで命を落としかけ、暇つぶしとはいえ王子に助けられた。王子の行動理由がどうであれ、そこには感謝しかない。複雑な気分にはなるが、表に出すほどの気分の悪さがあるわけではなかった。
 だが、王子が知らないこととはいえ、それで命を狙われているのだ。面白かったとは言って欲しくない。
「そうですか」
 ことさら冷たくなったが、いつも通り返したつもりだ。
 俺は勝手に呪いのことだと思い、いい気分になれなかった。けれど、王子が面白かったのは呪いのことではないのかもしれない。大祭には呪いなどより、よほど面白いことがあった。
 そう思うと、自らのもの言いが愚かであると気がつく。大祭のことについては、口に出すべきではなかった。いくら、表情があまり変わらないといえど限度がある。自分自身の弱い部分に触れるようなことを言うべきではなかったのだ。
「なんだ、冷たいな。冷たい男はもてないぞ。それとも、俺が居るからもういいのか」
 王子は俺の反応を笑い、いつも通り俺をからかう。
 王子は察しがいいほうだ。うまく護衛官との距離を取れるのも、そのお陰である。だから、俺の態度が変わったことも解っているだろう。
 王子がいつも通りなのは、自分自身の興味がないことは大体無視をしているからなのだ。
 俺の返事がなくてもまったく気にせず、フォー様とセルディナの元に歩み寄る姿はとても正直なものである。
「……あんただからだ」
 小さな呟きは、ユキシロだけに拾われたようだ。
 心配そうに俺の足に尾をぶつけたユキシロを、俺はまた撫でた。
「ところでロノウェ。少し離れすぎたな」
 フォー様とセルディナの傍まで行くと、王子があたりを見渡し、振り返った。
 先ほどの呟きを聞かれたかと思い、俺はユキシロを撫でる手を止める。聞かれたところで王子が俺と距離をとるだけだ。さほどの問題もないだろう。そう思いながらも、止めた手を不自然がないように顎の下まで持っていく。何か考えているかのように顎を指で擦る。
 そして王子と同じようにゆっくりあたりを見渡し、俺は頷いた。
「そうですね、王子が連絡を取ったのは中央の方でしたか」
 俺について気がつかなかったか、気にしなかったのか。そのどちらなのかは解らない。それでも、今、俺が何を考えているかも気にならないだろう王子は頷く。
「ああ、中央騎士団だ。逆にあるから、折り返すと……間に合うか?」
 俺は心の中で胸を撫で下ろし、表面はつくろったまま考えた。
 露天商が並ぶ中央通り、それに続くようにして商店が立ち並ぶ通りを北へまっすぐ進む。しばらくすると個人所有の図書館や資料館が増え、いずれ北の図書館塔にたどり着く。王都には東西南北四つの図書館塔があり、その中央に学園を擁する図書館があるのだ。中央騎士団の基地が隣接しているのは南の図書館塔で、俺たちは目的地と逆の方向に歩いて来たことになる。
「昼頃というのは、どれくらいまでをいうのかにもよりますね。ですが、俺の感覚ですと間に合いません」
 それでもなお、俺と王子の様子に気がついていないフォー様とセルディナは歩みを止めない。しかも、俺も王子も、二人から離れすぎないようにするため、速度は落としても足を止めなかった。俺たちは、なおも、逆の方向へと進み続けているのである。
「なら、魔法を使うか」
「それで走ると言わないところが、魔法使いですね」
「いやなに、最近、風の移動魔法を作ってな」
 魔法を作ると簡単に言ってしまうあたりが、王の魔法使いらしい。しかし、新しい魔法を作ったことに驚き飛びつくよりも、この王子がすることであるということ、急に寒気が襲ってきたことが俺にお願いしますと言わせなかった。
「……何故か、とても嫌な感じがするのですが」
「気のせいだ」
 王子が見たこともないいい笑顔をする。
 それが気のせいならば、傍らにいるユキシロがうなりだしたりはしない。嫌な予感がするのは俺だけではないようだ。
「俺は走っていきますので」
「護衛官が離れてどうする。ユキシロは可哀想だから走ってきてもいいが」
 確かに、王子の言う通りである。あまりにも背中が寒いため、職務放棄をしてしまった。もしかしたら、先ほどのこともあってのことかもしれない。しかし、そこは深く考えないようにする。そうしなければ、また余計なことを口に出してしまうからだ。
「いえ、待ってください。ユキシロが可哀想とはどういうことですか」
 自分の失態にばかり気が向いていたが、王子はユキシロが可哀想とも言った。それは、ユキシロが可哀想な状態になる可能性を示唆している。
「気のせいだろ」
 本当にそれが気のせいだというのなら、ユキシロが攻撃態勢になったりはしない。
 俺の傍ら、勇ましい姿で王子を睨みつけ始めたユキシロの危機察知能力は、人間などよりよほど鋭いのだ。
「あれっ、兄上もロノもまだそんなとこにいるのー?」
 俺と王子から離れてしまったフォー様の間延びした声が、実際にいる位置より遠くから聞こえてくるようである。
「悪い悪い。ちょっと時間がな」
 離れた分だけ声を張り上げた王子の声も、心なしか遠いような気がした。
 傍らのユキシロはついに牙をむき出しにして、威嚇している。
 俺の悪い予感は一向に消えなかった。
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