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 暴風だ。
 上へ下へ右へ左へ、ただただ目的の方角に向かって進み、乱暴に揺すられる。
 それが、俺の見た王子の移動魔法だ。
 一番最初に王子の魔法の餌食になったセルディナを見て、俺は呻いた。
「……あんな暴風に好き勝手される感じなんですか」
 王子は額に手をあて、風で飛ばされていくセルディナを見ながら、首を振る。
「いや、あれは風の精霊に好かれすぎで」
 セルディナの様子も見ないまま、続いて飛んでいったフォー様を見上げ、俺も首を振った。
「では、フォー様のあの様子はどういうことですか」
 セルディナよりは穏やかに見えるが、やはり嵐の中に飛び込んだような有様だ。遠くから悲鳴が聞こえても王子は、やはりまた首を振った。
「さぁ?」
 王子は少し曖昧な声音で首を傾げる。言っていることが解らないと言いたそうだ。
 俺は雲ひとつない空を睨みつけ、いい天気であったことだけは救いだと、一つ息をつく。
「ユキシロ、中央騎士団は解るな? 先に走って行ってくれ」
 ユキシロは俺の硬い声を聞き、心配そうに手に頭を擦り付けた。本当によくできたかわいい弟分である。俺は、その頭を撫でた後、ユキシロから離れた。
「あれを見て魔法を使わせてくれるのか?」
「断っても使うんですよね」
「さぁ?」
 今度は、フォー様のことをとぼけて見せたときよりも、はっきりとした意図が滲んだ。王子は俺の言うとおりだと言うように、笑んでもいた。
 ユキシロが走ろうとしては止まり、何度も俺を振り返る。本当に俺のことが心配なようだ。
 せめてユキシロだけは普通に移動してもらいたい。俺は王子の気が変わらないうちにまた一歩ユキシロから離れた。
「ユキシロだけは普通に移動してもらいたいので、王子、お願いします」
 覚悟を決め、王子を見つめたこの時の気分は、騎士学校の同輩に馬糞の中に教材の一つである特殊武器を隠されたときのものに似ている。どうしようもないと覚悟を決めた部分までは本当によく似ていると思う。しかし、同輩に仕返しは出来ても王子に仕返しはできない。しようとも思えなかった。
 だからなのか、ため息ばかりが増える。
「なら、魔方陣の中心に立ってくれ」
 王子の使う風の移動魔法は、魔方陣と呪文で発動した。王子の説明によれば、魔方陣で簡易なお願いと風の精霊の召集を行い、呪文で詳しく場所を説明するらしい。
 王子が一言呟いただけで道の真ん中に広がった魔法陣を、俺は読みきることができなかった。そのため、王子が言っていたことが本当かどうかは解らない。
 だから、俺にとっては未知でしかない魔法の中に身を置くのは気が気ではなかった。
 それでも、俺は言われたとおり魔方陣の中心に立つ。
 すると、王子が呪文を唱えながら此方に歩いてきた。
「……待ってください、二人で移動なんですか?」
「もう一度言おうか? 護衛官が離れてどうする」
 先に飛ばされたフォー様とセルディナは別々に魔法を使われたのである。一人ずつしか移動できないものと思っても仕方ない。
「王子が俺の反応を楽しみたいがために、一緒に飛ぼうとしている気がしてなりませんが」
「むしろあいつらの反応を楽しみたかったとは思わないのか」
「それもありそうです」
 正解なのだろう。王子は先ほどから浮かべている笑みのまま、呪文を唱えだした。
「この身と遊ぶは風、優しく包み込み、時に荒ぶるも何より速い足となる」
 呪文は魔方陣と違い、なじみのある言葉で紡がれる。せめて王子の魔法を邪魔しないように質問もせず大人しくしていた俺は、その呪文がフォー様やセルディナに使ったものと違うことに気がつく。
 先に魔法を使われた二人は、『優しく包み込み、時に荒ぶるも何より速い足になる』のではなく、『吹き荒れ、駆ける翼となる』だった。それを聞きわけることができても、俺には二人一緒に魔法を使うから違うのか、あの二人だったから違うのか判断が出来ない。
「王の住まう塔は遠く、都の果てに程近く南方へ。知識の塔に辿りつく前、都の守りにたどり着く」
 王子が場所を指定すると、魔方陣の中に風の精霊が集まってきた。精霊達は魔方陣の中で、既にくるくると回り始めており、俺より先に行った二人の姿を思い出させる。
 改めて覚悟をし、俺は身を硬くした。
「駆けろ! 駆けろ! 駆けろ! この身とかの身に、風を渡り駆ける術を」
 魔法が完成した瞬間に、俺と王子は風の精霊の力によって一気に真上へと放り投げられる。
「安心しろ、俺が魔法を繰る」
 王の魔法使いに言われてこれほど頼もしくも、信頼のおけない言葉はない。
 俺の知る王の魔法使いたちは、自分自身が楽しいことが優先だからである。二人しか会ったことはないが、その二人のうちの一人である王子がやることだ。とても不安である。
 俺の不安が伝わったのだろう。王子が心外そうな顔をした。
「信用してねぇな?」
 これまで信用されるようなことをしてきたかどうかを振り返ってもらいものだ。
 しかし、俺が口を開く前に魔法は移動を開始した。
 背中を押す風を感じるとすぐ、真下に広がる風景は走るよりも早く流れていく。前方からもぶつかってくる風に口を開くことも、正面をみることも難しいのだが、見下ろし流れる街は悪くない。
 あっという間に、街中を駆ける白い塊を追い越す。はっきりと確認したわけではないが、あの白い塊はユキシロだろう。そう思うと笑みが零れた。
「ほらな、大丈夫だろう」
 俺の笑い声に得意げに言う王子を見ようと思い、なんとか少し顔を動かす。
 どうやら王子も正面を向いていられないらしい。常にはない俯く姿がちらりと見えた。
「あんたも前見れねぇのかよ」
 素直な感想も口から零してしまう。いつもなら気をつけて使っている言葉が、素と変わらぬ言葉になる。零してすぐに気がついた。
「すみ……すみませ……っ」
 しかし王子の俯く姿がおかしくて、笑いもこみ上げてきたのを耐えるので必死だ。うまく謝ることができない。
 そんな俺を王子は叱るでなく、茶化すでなく、黙ったままだ。
 怒っているのだろうかと思い、笑いを堪えながら、もう一度、俺は王子をちらりと見る。
 王子は、口元を押さえ、何かを考えている風だった。怒っているという様子ではなく、驚いているといった様子でもある。
「王子?」
 声をかけると、王子がすぐにこちらを向く。
 王子は、やはり驚いたような様子で何かを言った。
 だが、その声が俺に届く前に俺と王子は急に停止し、地上へと落下したのだ。
 血の気が一気に下降した気分だ。
 下に落ちているからか、頭へと冷たい血が上っているようにも感じられ、不快感や気持ち悪さまで加わるようだった。
 耳に届く風の音と自らの心臓の音が騒々しい。
 先ほどまでは正面から風を受け、口を開けるのも困難であったのに、風の音に気がつかなかった。王子の声も良く聞こえ、こちらの声も王子に良く聞こえていたように思う。
 あの風の具合からすれば王子の声が良く聞こえたのは近かったからではなく、王子が何らかの処置を取っていたからに違いない。
 俺はそう考えると、想像していた。