落下し地面にぶつかりひしゃげる想像ではなく、先ほど王子の魔法にされたように宙に放り投げられる想像だ。先ほど経験したことだが、落下している現在は地面に叩きつけられる想像のほうが容易い。宙に放り投げられる想像は強くできなかった。それでも、俺は叫ぶ。
「飛べ!」
 俺の魔法が弱いながらも発動し、落下速度は僅かに緩やかになった。しかし、それもそう長くはもたないだろう。
 落下地点は、目的地から少し遠い。着地点は道ではなく、何処かの家の屋根だ。
 俺はまた魔法を使うために片手を動かしながら、王子に手を伸ばす。王子ほどの魔法の精度はなく、あくまで俺の起こそうとしている風は緩衝材程度だ。離れた王子に魔法がかかるかどうかも解らない。それに、魔法がまったくといっていいほど効力を発揮しない場合だってある。
 俺の目的は一つだ。
 王子を護る。
 それだけだ。
 俺の意図を察してか、王子も何か魔法を使うためか、同じように王子の手も伸ばされた。俺はそれを掴むと必死になって空いている手を動かす。
 王子も、うまく聞き取ることが出来ないのだが何か言っている……呪文を唱えているようだった。
 最後の印を結ぶのと、屋根にぶつかる寸前に俺の身が下になる様に腕に力を込めるのと、どちらが速かったかは解らない。
 薄い風の層が一瞬俺と王子の緩衝材となった後、厚い何かが差し込まれた。
「……間に合った、か……?」
 どうやら、厚い何かは王子の魔法であるらしい。
 俺は屋根に背をぶつけることなく、その後屋根から転げ落ちることもなく、屋根から腕の長さほどの間を開け、浮いているようだ。
「そのよう……ですね……」
 俺の強張った身体から、ほんの少し力が抜ける。それが解り、少し安心したのか、王子が不意に笑う。
「ようやく、その気になったのか」
 最後の悪あがきのせいで、王子は俺の腕の中に入ってしまっていたのだ。
「……呑気なことを……」
 俺は、それに気がついても腕を王子の背に回したままにした。落下が王子の魔法の不備ならば、悲しい事故でしかない。だが、他者によって邪魔をされたから落下したのなら、油断できないからだ。
「大丈夫。俺が使ったのは結界魔法だ。結界の壁を厚く構築したから、浮いた状態になった。お陰で、攻撃がこちらに届きにくくなっているはずだ」
 王子のその言葉に、俺は腕を離し、王子が動くのを少し待った。
「……どうして俺の背中に王子の腕が回されてるんですかね」
 王子は俺から退くどころか、背中に腕を回し隙間を埋めるように身体を密着させる。
 もしかしたら、他の護衛官なら王子に騙され心臓が痛くなるようなことだったかもしれない。しかし、俺はいくら王の魔法使いに誤魔化してもらっても、呪いがかかっているとばれないかとひやひやしてしまう。
 王子は俺の耳元に顔を寄せると、小さな声で囁く。
「お前の腕の中を堪能しようかと思って」
「早く退いてください」
 王子の両腕を掴み少しでも離そうとすると、王子の腕に力が篭もった。
「まぁ、そう急ぐな……この結界は厚い分外の気配がわかりづらい。その上、お前にも魔法がかかっていて……これは、イズベル師の魔法か?」
 抱きつかれるだけで王の魔法使いであるイズベル師が魔法を使っているということが解るのだ。このままでいれば呪いを誤魔化していると悟られるのも時間の問題かもしれない。
「とにかく、お前の魔法と分けたい。しばらくこうして貰う。感じ取りやすいからな。そうすれば、何処から魔法が来たか察知できる」
 真剣に他の方法を取って貰いたいものだが、王子がそう言うのなら、黙っているしかなかった。魔法に関して、王の魔法使いに勝てる魔法使いはこの国にいない。いるとすれば、その魔法使いはもう既に、王の魔法使いの称号を得るに相応しい。
「……通りすぎた場所だな……、ここを起点に南の図書館塔くらいの距離で、ちょうど反対側の辺りだ」
 王子の呟きを聞いた後、俺は再び腕に力を入れ王子を離そうとした。
 今度は王子の抵抗もなく、素直に俺の身体の上から退いてくれる。
「少し、遠いですね」
 立ち上がりながら周囲の気配や、物音を確認してみる。
 王子の言うとおり、この結界は厚いらしい。音は傍にいる王子の発するものしか聞こえず、また、人の気配も薄かった。
「そうだな。しかし、魔法は有効範囲内だ」
 王子は腕を組み、魔法が来た方角を向く。
「どうする? 護衛官」
 腕の中で笑ったときとは違い、いつも通りの意地の悪い笑みが王子の顔に浮かぶ。王子は、ここで俺の実力を試したいらしい。
 俺は、腰のあたりに手を伸ばす。そこにはいつも装備してある剣鉈がある。
「王子、合図をしたら結界を解いてもらえますか」
「こちらが結界を解くのを待っているかもしれないぞ」
「それでも、お願いします」
 落下していた時とは精神状態も違う。俺は指を動かしつつ、強く想像することができる。
 俺が指を動かし始めたのを見て、王子は頷いてくれた。
「解った。合図を待つ」
 俺は強く想像した。それは二つの絵だ。王子を囲う堅固な壁と、俺を護る透明な盾がここにある想像である。
「同時発動……?」
 王子が呟いたとおり、俺は二つの魔法を使おうとしていた。ひとつは王子を護るための結界魔法で、印を使う。もうひとつは俺に魔法が届かないようにするための結界魔法だ。強度は必要ない。魔法が一度防げれば良かった。
 だから、俺程度でもなんとか同時に魔法を発動させることが出来る。
「お願いします……!」
 魔法が来るだろう方向に俺の身を起き、王子を俺の背中へ隠す。俺よりも少し背の高い王子は、おそらくすべて隠れてはいないし、魔法を前にすればこんなものは気休めだ。
 しかし、俺はそうした。
「解呪」
 王子が結界を解くと、足場が急に消え、傾斜のある屋根へと足が落ちる。
 足場のことはすっかり忘れていたが、俺は魔法を完成させた。
「防げ!」
 俺の一言は俺の前に盾をつくり、同時に切った印は王子を囲う結界を作る。
 そして俺はうまく屋根に着地し剣鉈を抜く。印を切り終わった手が革紐で首から下げている笛を取り出した。
 攻撃魔法はこちらに飛んでこなかったが、用心に越したことはない。
 俺は笛を銜えると、空いた手で再び印を作る。今作っているものより強い結界を作るためだ。
 印を結びながら、俺は何度か節をつけ、魔法の力を込めて笛に息を吹き込む。甲高い掠れた様な笛の音が響く。犬笛に似たものだ。
 これに応じてくれるのはユキシロであるため、犬笛とは少し洋式が違う。魔法の力が込めやすく、魔法が音に乗りやすい。ユキシロは音だけではなく、魔法の力も感知して俺の指示に従ってくれるのだ。
 ユキシロは、比較的敵の近くにいたらしい。返答の声がすぐに響いた。
 俺は剣鉈を元の位置に戻し、もう一度笛を吹き、それを口から離す。
「……逃がしたようです」
「これはまた……すごいな」
 王子が口笛を吹く姿に、俺は苦笑した。王子の傍を離れず、結界を張ることしかできない俺と違い、ユキシロは大変優秀だ。逃してしまったのも、王子の魔法を邪魔した魔法使いが攻撃をすることなく、すぐさま逃げたからだろう。
「兄貴分が頼りないものですから」
 王子は一瞬考えた後、腹を抱えて笑った。
「いや……っ、兄貴分もなかなかっ」
 何か褒めてくれているのか、お世辞を言ってくれているのか解らぬ答えだ。
 俺はそれを聞き、何故だか少しほっとしながらも、こう言った。
「騎士団への殴りこみは中止ですね」
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