「……舌打ちするほど、何か思ってもなかった気がするが」
 王子の小さな呟きが耳に入り、俺は身体が冷えた気がした。
 セルディナがウルに不快さを見せるようになったのはつい最近のことなのだ。そう、協力者として顔を合わせてからである。
 セルディナはフォー様を護ることを優先していることもあり、ウルと会うことがあっても言葉を交わすことはない。ウルもセルディナの仕事を邪魔するようなこともなかった。だから今までは、たまに挨拶をするだけの仲であったそうだ。王子の言うように何かを思うほどの接触をしてこなかったらしい。
 俺が仕事の協力を要請しなければ、こうして舌打ちすることなどありえなかったのである。
 俺は、この王子の呟きを聞こえなかったふりをした。王子も他人に聞こえてないと思っているだろう。それほど小さな声だった。
 しかし、王子の一番近くにいたフォー様には聞こえていたらしい。手を振りながら、わずか首を傾げる。その姿を見落とすようなセルディナではない。それについてセルディナはなんと答えたものか少し迷ったのだろう。表情が一瞬抜け落ちた。その一瞬の間で、どうするかを決めたセルディナはすばらしい協力者といえる。次の瞬間には、セルディナは先ほどよりも嫌そうな顔をしていた。
「フォー様駄目です。あんな男前さが無駄な野郎に手を振っては」
 なかったことにするのではなく、そのまま嫌がることにしたのだろう。あまりの嫌がりように理由でも尋ねられようという魂胆なのかもしれない。
「そんなこと言ったら、兄上に声かけるのとか年齢制限ひっかかるほどの駄目さじゃん」
 フォー様はそんな思惑など気にしなかった。それよりも身近にいる残念な男が気になったようだ。
 実の弟に男前さが無駄だと言われ、さらに年齢制限がかかると言われた王子に、俺こそなんと言っていいかわからない。声をかけるべきかも迷ってしまう。
 俺はそろりと王子に視線を向けた。王子がフォー様に残念がられるのは普通なのだろう。俺と目が合うと、王子は器用に目を片方だけゆっくりと瞬かせる。しかも王子は舌までだして何かを演出した。何故かとても腹が立ち、俺はフォー様の言うことに間違いがないと確信する。王子は確かに男前さが無駄だ。
 そうして俺が主人である王子に呆れた目を向けてしまうのは、もはや仕方がない。
「お前、なんて顔だよ」
 俺が王子に呆れていると、俺たちに追いついたウルが笑い出した。
「それ、大好きな王子様にする顔じゃねぇよ」
 ウルが笑いながらそんなことを言ったものだから、失態に内心焦っていただろうセルディナも、ウルに手を振っていたフォー様も、残念な王子も、一斉に俺を見る。俺の側まで駆け寄ってきたユキシロだけが、俺の味方であるように、遅れて俺を見上げた。大丈夫かと言うように鼻を鳴らしたユキシロを、いつも通り撫でる。
「ウル、何か用か?」
 ウルとユキシロの視線以外が痛い。大好きとはいったい何のことだと問いかけたい、からかいたいのだろう。視線が今にもものを言いそうである。そんな中、俺はあえてその視線を無視した。
「お前が、頭痛ぇっつってたから、リュスの実、分けてやろうと思って」
 リュスの実はレスターニャでは色々な薬代わりに良く使われる拳半分ほどの大きさの実だ。薬ほど効き目はないが、レスターニャのどの地域でも簡単に手に入るため、薬が手に入らない庶民の味方である。干して小さくして湯で飲むと、頭痛に効く。友人の優しさを噛み締め、俺はなおも視線を無視して続けた。
「ありがたい。ちょっと前から結構困らされて……」
「ロノそんなに痛かったのってかさ、さっきのどういうことなの、ねぇ」
 視線の訴えすらも頭痛に変わった気がしてきたあたりで、我慢できなくなったのであろうフォー様が声を上げる。ニヤニヤと嫌な笑みばかり王子に似ているフォー様に目を向けないように俺はそっけなく答えた。
「ええ、今も酷くなる一方なのですが。ウルの用事ならリュスの実を……」
「見事に無視してきたね。大好きって何かなって話だよ」
 フォー様が腕を組み、いわない限りは追求してやるという姿勢をとる。仕方なく俺はことさらゆっくり首を傾げた。その後、王子を見て、もう一度首を傾げる。
「幻聴、じゃないですかね」
 まるで身に覚えがないと首を傾げてみせたというのに、今度は王子が絡んできた。
「俺が好きなら早くそういってくれればよかった。そうすれば今朝は部屋から出ねぇで、な?」
 幻聴であるとは思ってくれないらしい。王子が指で円を作り、その中に指を入れる。王族にあるまじき下品な手つきに、俺は鼻から漏れていく空気を抑えることを忘れた。
「俺の趣味が疑われるから二度というなよ、ウル」
 王子にはリュスの実も利かないだろう。俺は王子たちにではなく、問題の発言をしたウルに釘を刺しておいた。ウルは納得したように頷く。
「おう、俺が悪かった。で、リュスの実分けるのはいいんだけどよ、ラグ様とフォー様は授業に遅れちゃなんねぇだろ」
 ウルはこの場から王子たちを遠ざけたいのだろう。そう思った俺はユキシロの頭から手を離すと、頬辺りを撫でた。それだけでユキシロは俺がしてもらいたいことに勘付いたようだ。俺の側から離れ、王子の元へと歩いていった。
「王子とフォー様は遅れてはなりませんよね」
 俺は王子たちのからかいから逃げたいばかりに体よく追い払っているように見せる。ウルはおそらく俺の任務に関わることで王子たちを遠ざけたいに違いないからだ。出来るだけすんなり王子たちには引き下がって欲しい。そうでなくともここで時間をとられ余裕で教室に入れないのは避けてもらいたかった。一応生徒の見本とならねばならないのが王子たちだ。たとえ夜といわず昼間もいかがわしい遊びをしていても、それなりに見えているのだから、維持してもらいたかった。
「兄上、体よく追い払われそうだよ!」
 フォー様は見たままを素直に信じてくれたらしい。それとは違って、少し目を細めてこちらを見たのは、フォー様より騙されて欲しい王子だ。王子は俺たちが適当な理由でこの場から追い払おうとしていると見抜いているようだった。しかし、王子はまだそれほど俺たちに興味があるわけではない。フォー様が騙されているうちは黙っていてくれそうである。
「体よく追い払われましょう。俺は、アレと同じ場所に居たくないので」
「……さっきから、セルディ、なんでそんなにウルが嫌いなの?」
 ようやくフォー様から尋ねられたウル嫌いについて、セルディナは何度も頷きながら、フォー様を教室のほうへ軽く押す。
「ロノウェのおかげで話す機会があったんですが、まったく駄目でした」
「ええ……理由になってないけど、それ、すごい気が合わないって事? てか、大好きのせいでふっとんじゃってたんだけど、ロノはウルと友達なの?」
「出身地が同じだそうです」
 セルディナに押されるままにゆっくり移動していくフォー様に続いて、王子もゆっくり歩き出す。それを見送りつつ、ふりだけではなく、本当に『大好き』について避けられることにほっとする。それでも王子は俺をしばらく見つめ、からかうために片目だけつむった。
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