王子は騎士を翻弄する


 本と洋紙、魔法道具に薬草……魔法のために必要なものを箱の中にいれ、二、三度振ったらこの部屋と同じような姿になるに違いない。
 足の踏み場は何とか用意し、何度か雪崩れた本を踏まないように端に寄せ、それでもまた本や洋紙で塔を築く。その雪崩れに巻き込まれたのか、干乾びた草が紙と紙の間から飛び出す。かろうじて無事と思われるものは硝子を使った器具や陶器で、それらも難は逃れど、窮屈そうに机の上で所狭しと並ぶ。
 そんな部屋の片隅にある寝椅子の端に腰かけ、俺は王の魔法使いと対面していた。
「君さァ……死にたいのォ?」
 レスターニャはかつて迫害され、北上した魔法使いたちの国だ。ゆえに、歴代の王たちには常に強さが求められてきた。それが王の魔法使いから王を選出するという方法に繋がる。
 王の魔法使いは赤、黄、青、黒、白の五つの魔法を使いこなせる才能と高い技術を持つ魔法使いに与えられる称号であり、資格だ。
 その王の魔法使いの一人であるイズベル師は、俺を責めるつもりはないらしい。
 真ん中だけは余白を死守したのだろう、もう一つの机で書き物をしながら楽しくて仕方ないという声色で俺に問う。
「死にたくはないですが」
 せっかく王子に拾ってもらった命であるし、そうでなくても大事にしたい。
 しかし、イズベル師がそう問うのも仕方がない。
「じゃあ、なァんでかなァ? クラウグルくんが呪具持ってきたの、ワタシの研究室って知ってたよねェ」
 そう、俺はウルにイズベル師に呪具だろうものを預けると聞いていた。イズベル師に呪具だろうものの鑑定を頼むためだ。だから、俺は王子たちが勧めるまま休憩ついでにイズベル師を訪ねたのである。
「鑑定の結果を知りたいのもあったんですが……俺の呪いの進行のほうも診てもらおうと思いまして」
 イズベル師の研究室はいつも通り身の置き場も困るほどで、身体を休める場所など見当たらない。その上、イズベル師に鑑定してもらうということは、イズベル師がどんなにうまく管理していようと、ここには呪具だろうものがあるということだ。それで体調を悪くしたのだから、我ながら身体を休めるつもりがないとしか思えない。
 それはイズベル師も死にたいのかと尋ねたくなるだろう。
 だが、研究室の扉を開ける前も今も、頭が痛いと思わなかったことから、本当にうまくイズベル師は呪具を管理しているのかもしれない。
「進行したのォ? ヤッタ! それなら診る診るッ」
 王子もそうだが、王の魔法使いはその才能の代わりに大事なものを失くしてしまっている。いつイズベル師に会ってもそう思ってしまう。
 まるで踊るように物の隙間に足を差し入れてやってきたイズベル師は、その年齢に見合わぬ、宝物を見つけた少年のような顔で俺の前に立った。
 イズベル師は二代前の王と王位を争ったとされている王の魔法使いである。争った当時はまだ十も数えぬ子供であった。しかし、その魔法の才は二代前の王よりもあったという。その王よりなかったのは、人徳と王の器だったそうだ。確かに、年齢不詳の若作りと人でなしな発言にそれを垣間見ることができる。
「アー……呪術阻害がぐだぐだだねェ。偽装の方は当分大丈夫そうだけど、ラグくんと楽しィことしたァ?」
 王子の影響か、楽しいことというのがどうも下の話のような気がしてならない。
 けれど、発言しているのは王の魔法使いであり、魔法に取り憑かれたように研究にのめり込み、教師になって学園の一部を私物化しているイズベル師だ。魔法を使って何かをしても楽しいというだろう。
 だいたいイズベル師は下の話など随分昔に遠のいていそうな歳である。そうでないというのなら、実年齢に相応しいのはその知識量とたまに首を出す年寄り臭さと白髪だけということになってしまう。その白髪とて、俺とは違い灰色に見えるものだ。
「楽しくはなかったですが、触られましたね」
「やっぱラグくん、手ェはやァい。最後まではいたしてないよネ、だってそんなことしたら、ばれちゃうもんネ。でも、布越しで手を使って触るくらいはァ」
 けして寛げるほどの空間がないため、窮屈な思いをして収めている俺の足が邪魔だというように、イズベル師は俺の足の間に無理矢理入る。
 無用に煽られている気がして、俺はわざと真面目な顔をした。
「確かに服越しに触られましたが……なんのことをいっているか聞いてもいいですか?」
「いやァ……若いとお盛んだねェって……」
 王の魔法使いはきっと品性もどこかに置いてきたに違いない。からかわれているのだとわかっていても、俺は眉間に皺を集めた。
「いやいや、じょォだんだよォ。しかし、ラグくんの手がはやいのは君ならよく知ってるだろォ?」
 王子が誰かと一夜を過ごすとなれば、護衛官である俺は起きて扉の外に立つことになる。手の早さどころか終わった後の態度まで知っていた。
「マァ、ラグくんに触られたのは確かなんだねェ」
「必要に迫られて。イズベル様の魔法だと悟られてしまいましたが」
「魔法の判別でもしたァ? あの子、触って確かめたがるよネェ? マァ、なんだっていいんだけどォ、これまた、どうしてどうしてあの子の魔法が混じってる」
 イズベル師は俺に手を伸ばし、王子に手で触られた辺り……背中を撫でる。
 王子とは違い、本当に確認するように撫でられ、俺は至近距離でイズベル師の様子をうかがう。イズベル師は声色と同じように、楽しそうな様子で俺からすぐに離れた。
「魔法は想像だけでもできるって、君は知ってると思うけど。どの子もね、魔法が使えるなら見えるほどの形ではないにしろ、使っているものなんだよねェ……だいたいは、黒の類だネェ。これも、黒だ」
「……黒?」
 黒魔法というのは、まじないだ。それは守りであり、願いであり、のろいである。なんにせよ、根源は呪術だ。つまり、王子は俺に呪術を使ったということになる。
「思いの強さで引き起こす魔法ってやつはァ、たいてい黒。ラグくんも可愛いところあるじゃァないのォ。ネェ?」
「と、いわれましても」
 誰もが使っているものだということは、さほど効力がない魔法なのだろう。しかも、思いの強さでできるなら、意識的に使っている可能性は低い。そうでなければ、王子は俺を魔法使いと呼ばないだろう。だから、王子の使った魔法自体は困ったなと思いこそすれ、気に留めるほどのことではない。
「君は思うより、ラグに気に入られてるということだァ。気をつけたまえ」
 その通り、確かに思ったよりも気に入られている。だから、俺は困った。
「それは、まずいですね……」
 俺は呪われたし、その恩返しのようなもので王子の呪い避け兼護衛になっているのだ。呪いを毛嫌いしてもいいだろうし、実際あまりいい感情をもっていない。けれど、王子が呪術を使ったと聞いても、困ったとしか思わなかった。その事実がなお俺を困らせる。
「悩め悩めェ、若人ォ。いいねいいねェ、青春だ、ネェ?」
 イズベル師は俺から離れながら、ふふふと笑う。
「そういうのは求めてないんですが……」
「ラグくんが求めてるのはそういうのだと思うんだけどネェ……たぶん、退屈しないよォ?」
「……それは俺が関わるべきではないところですから」
 ずっと王子と一緒にいるわけではない。突然いなくなることだってあるだろう。そんな人間がイズベル師のいうところの青春をお供すべきではない。期間が限定されるからこそ、お供に最適という考え方もあるが、俺はそう思っていた。
「マァ、ワタシも関与すべきではないと思うけどォ」
 再び足の踏み場に爪先を落とし、定位置に戻ったイズベル師は、床から一枚の葉を取り出した。そのあともイズベル師は的確に、本や魔法具の隙間から様々な薬草類を集める。この散らかりようでも何処になにがあるかわかっているらしい。俺から見れば箱を振ったようにしか見えない有様でも、イズベル師には確かな配置なのだろうか。
「ママナラナイのが青春ってヤツじゃなァい?」
 それならば是非とも、青春とやらが関わってこないようにしてもらいたいものである。
 俺は痛くもない頭を抱えるようにうつむくと、深く深くため息をついた。
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