やはり王の魔法使いは、いい性格をしているんだろう。
俺の耳には小さいながらもしっかりとご機嫌そうな鼻歌が届いていた。
「でもマァ、それで魔法の偽装がバレるのは、ワタシの誇りが傷つけられちゃうしィ?」
鼻歌に混じり何かをすり潰す音も俺の耳はとらえていた。おそらく、さきほど集めた薬草を混ぜ、潰す音だろう。
「今から作る薬と魔法で、君がラグくんと一発いたしてもなんの呪いかバレないようにしてあげェるよ」
「しませんよ」
そんなことをしたら、王子に遠ざけられ、他の護衛官と同じ道を辿るのは目に見えている。王子の側で護衛官をしたいのならば、避けるべき事態だ。だからこそ青春などしたくないのである。
「エェ? ソウ? ラグくん、一度目をつけて落とせなかったものないよォ?」
だが、俺は王子の手腕もよく知っていた。
しかもその話は上司にもされている。力ない笑みがこぼれた。長々と影の位置が変わるまで聞いた王子の伝説は、王子の夜の生活を知るたびに納得させられる。
嫌がりながら王子の部屋に入る者など一人もいないし、部屋から出る人間は一様に部屋から出て行くことを渋り、最後に俺を睨む。王子が一度部屋に連れ込んだ人間に二度目がないからだ。その二度目がないことは俺のせいだという噂もあり、俺は王子を好く生徒に大変嫌われている。そんな邪魔臭い俺を睨むくらい王子に惚れ込んでいるということだ。
こうなると王子のたらしぶりを否定する材料が見当たらない。
「じゃあ、その一度目になります」
それでも、俺は強くいいきる。そうありたいし、あの王子とそういった状態に陥る未来が想像できないからだ。
「挑戦するネェ。嫌いじゃァないヨ。ジャア、ワタシは少しだけ君の手伝いをしてあげようかァ」
「いえ、結構です。それより、呪具かどうかはわかりましたか」
何かをすり潰す音が一度消え、かさかさと乾いた草が擦れる音がした。薬作りは順調なのだろう。イズベル師の手が止まる気配はない。
「冷たい子ォ……マァ、ワタシだしィ? アレが呪具で、しかも、君の呪い主と一致ってのは確認したヨォ」
「さすがイズベル様、お早いですね」
賞賛しながらも、俺は顔を上げることができなかった。
今朝回収した木の杭が呪具で、俺の呪いと同じ人間が作ったものだというのなら、王子の身に危険が及ぶかもしれない。まだ実害があったのは呪いに過剰反応している俺だけである。確実に王子が呪われるとはいえないが、その確率は高い。
今朝のうちに回収してしまってよかったと思うと同時に、俺は薬を貰い、魔法をかけて貰ったらすぐにでも研究室を辞そうと決めた。
「そりゃァね。ワタシだからァ。もうちょっと調べたらァ、使われた木材もわかるからァ」
「それは俺じゃなく騎士団のほうに」
「せっかくだからァ君にもあげェるヨ」
いらないといったところで、イズベル師は俺に無理矢理教えてくれるに違いない。
俺にかかっているイズベル師の魔法に関してもそうだった。本来ならば偽装するための魔法だけでよかったというのに、イズベル師は俺に三つ魔法をかけたのである。しかも、その魔法にしても他の王の魔法使いにかけてもらう予定だったのだ。
それを、面白い研究対象だといって割り込んできたのがイズベル師である。
現在、こうして俺と話をしているのも進行した呪いをどうやって元に戻し、誤魔化すかを考えるのが楽しいからだ。
「それでさァ……もうひとつついでにィ、暇でしょ今ァ」
「……片づけをする体力とかはありませんよ」
「アーハ。それ、他人に頼んだこともないヨォ? 汚いってのはわかるけどネェーエ。とにかく暇なら付き合ってェ」
暖かい部屋の中、俺は寒気を感じ、ようよう顔を上げる。
いくら寒い季節になってきたといっても、シノーラ学園の教師の研究室はだいたい暖かい。教師が部屋を暖める魔法を使っているからだ。どんなにこの部屋が散らかっており、片付けようという気さえなくとも、イズベル師はこの研究室内をちゃんと暖めていた。
だから、この寒気は少しおかしい。
「……新しい魔法は使わないでくださいね」
先日の王子が思い出され、俺は一応イズベル師に釘を刺す。
王子や、王の魔法使いではなくても、研究を生業としている魔法使いたちは常に手に入れた技術を使う理由を探している。王子が空を飛んだのも、フォー様の魚が爆発したのも、イズベル師が割り込んできたのも、その理由を見つけた結果なのだ。
「アレェ? ワタシの魔法も感知しちゃう?」
とぼけたような声を上げ、イズベル師が手を止めた。
俺と目があったイズベル師は、俺の答えを待ち、目で笑う。楽しさを隠さないのは、イズベル師の自信だろう。まるで俺ごとき若造に負けるつもりはないと、語っているようだ。
俺は軽く首を横に振る。
「まだ使われていないものはわかりませんよ。勘のようなものです」
正直に答えれば、挑んでこない俺に少しだけつまらなさそうな顔をした。王子やフォー様がよくしている顔だ。
「アァ……君、すごく働いてそうだもんネェ、勘」
そういって頷くと、再びイズベル師が手を動かし始めた。新しい魔法は諦めてくれるらしい。
イズベル師はどの色の魔法も満遍なく使う。赤魔法を使えば他人の精霊を誘惑して攻撃し、黄魔法で魔道具を作っては悪戯に興じる。青魔法で移動手段を召還し、白魔法で若作りをした。
そして、黒魔法で俺を呪う。
そうなってしまったのは俺が呪いを半分かけられ、中途半端に解除したからだ。ただしくは、中途半端にしか解除が出来なかったからである。その中途半端に残った呪いのおかげで王子の護衛官になれた。しかし、呪いをそのままにした状態で王子に近づくことはできなかったし、俺の体調も不安定で、護衛官として使えたものではなかったのだ。
それを他の呪いをかけることで拮抗させ、阻害し、現状を保っていた。その呪いの一つと偽装の魔法、あと一つ印象を操作する魔法をかけているのが、イズベル師なのだ。
魔法と魔法は引き合う。特に魔法を使った人間が同じならば、俺がこうして呪いを悪化させたようにわかる形で現れる。
だから俺にはイズベル師の魔法が感知できるのだ。
「でも、新しくなければ、いいよネェ?」
しかし、感知できることはイズベル師も知っている。魔法を工夫することに生きがいを感じているイズベル師が簡単に感知させてくれるわけがない。
イズベル師から見れば俺はひよっこだ。感知が難しいとなると俺に魔法を避ける方法は少ない。
俺はその数少ない方法としてイズベル師に反論しようとし、すぐに、それが難しいことを知った。口がうまく開かないのだ。
それは魔法のせいではない。急におりてきた眠気のせいだ。その急な眠気こそ、実はイズベル師の魔法だった。
「なん……で」
俺に魔法をかけた本人はのんきなもので、変わりなく薬を作っているようだ。ごりごりと一定の間隔を刻む音が、耳に心地いい。
それは村ではよく聞いた音だ。おかげで余計に、眠い。
俺は瞬きをしたあと目頭を片方だけ押さえた。眠気がゆっくりと頭を重くする。
「手伝ってあげるっていったでショ。それに暇なら寝た方がイイ」
断ったはずであったが、どうやらまだ有効らしい。俺は寝椅子の上にある本や洋紙に倒れこまないように何もないであろう方に身体を傾ける。
「しかし、君は鋭いようでちょっと鈍いネェ……ワタシはいったよォ? 誰でも想像だけで魔法が使えるって。ワタシも例外じゃないよ。ましてその事実を知ってる私が、意識して使えないわけってあるゥ? 一応王の魔法使いの最年長だからネェ、コレデモ」
そう思うのなら、もう少し落ち着けばいい。そう口にも出せず、俺は何度も頭を元の位置に戻そうとした。音は次第に遠ざかり、イズベル師の声が頭に響くようで、それがとても煩い。すでに、まぶたを開いているのも億劫である。
寝るなら寝台の上でしっかり横になって寝たい。そんなことをぼんやり思いながら、俺は眠りについた。