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「結局、俺が報告する前にきちゃってたわけですか」
「そうなるねェ。いやはや、すごい献身ぶりだヨォ。おそれいるネェ」
 ぼんやりと、遠く近く、人の声がしたからだろうか。それとも身体があげる悲鳴のせいだろうか。
 次第にはっきり大きくなり始めた人の声を聞きながら、俺は目を覚ます。
 まぶたを開けば、寝たときと同じように騒がしい部屋の中、イズベル師とクラウグルがいた。クラウグルはおそらく、イズベル師に例の杭が呪具かどうかを尋ねにきたのだろう。今朝届けたというのに俺同様、気が早い。それともイズベル師の優秀さを確信してのことだろうか。性格はともあれ、王の魔法使いだ。その優秀さは信じるにたる。
「まったくです。昔から義理堅いというかなんというか……それらしい顔をしていれば気をつけるっていうのに、あの顔でやらかしますからね」
「アアー……温度低そうな感じするもんネェ。でも熱いってわけでもないんでショォ?」
「そうなんですよ。淡々とこっそり恩返ししてくるというか……家の前にこっそり食べ物置いていく動物みたいな」
 民家の前に食べ物など置いたことがない。ウルがいいたいのはそういうことではないとわかっていながら、俺はあとで文句の一つくらいはいっていい気になった。ウルはそれを比喩に使っただけだ。しかし、いった相手が悪い。
「ネコとかもするよねェ……アレ? アレは違うんだっけ? カワイソウに思われてるんだっけ? とにかく、たくさん恩を売っておくといいかもしれないネェ」
「いや、あんたに恩売られるのはすごく嫌がられると思いますよ。もちろんラグ様に恩を売られるのも嫌だとは思いますが。俺も嫌ですし」
 あとでからかってくるだろうことがわかる相手に一言二言多いのは、とてもウルらしかった。嫌がる旨を伝えたところで、それもからかいの道具にしてくる性質の悪い人間が、イズベル師であり王子なのだ。だから俺もウルも恩など売られたくないのである。こうなったきっかけが恩にあるのならまだしも、今から恩を売られてはたまらない。
 俺は痛む身体を一度伸ばし、特に痛む首を揉む。やはり狭い場所で寝て、身体に負担がかかってしまったようだ。背中も痛ければ腕も脚も痛い。特に首は片側がとても痛く、おかげで頭も少し痛いように感じる。
 あまりの痛みに、一度反対側に首を倒す。すると、ウルとイズベル師の他人が寝ているのも気にしない声を邪魔するように、大きな音がした。
 その音は二人にもちゃんと聞こえたようで、二人は同時に俺を見て同じような驚きを顔に乗せる。ウルはそのあと、またかという表情をし、イズベル師は目を細めた。
「スゴォク、静かに目覚めたネェ」
「お前、起きたなら起きたっていえよ。俺がお前の悪口いってたらどうすんだよ」
 ウルが俺の悪口をいっていたら、あとで拳骨を落とすだけだ。たいした問題ではない。秘密にするのなら、もう少し重大なことのほうが聞いた俺も気まずいだろう。ましてさきほどしていたのは家の前に食べ物を置いていくような話だ。ウルは油断しきって軽口をたたいているが、俺からあとで八つ当たりを受けるだろうことを覚悟したほうがいい。
「……薬は出来ましたか?」
 まっすぐイズベル師だけを見ながら、立ち上がったのは今すぐできる意趣返しのようなものだ。小さな嫌がらせに、ウルが俺は無視かよとぼやいた。
「そうそう、できたから、口移しで飲ませてあげようかなァって話してたトコォ」
「嘘ですね。家の前に食べ物供える話してましたね」
「その前にィ」
「嘘ですね。王子に献身する話をしてました」
「……キミ、結構前から起きてたネェ?」
 俺が静かに起きて、音もなく身体を動かしていた期間が長かったらしい。イズベル師は意外そうな顔で手を動かし、机にある本の上を探った。
「ワタシはここで起きた瞬間にっていうかァ、寝る前なんか寝椅子のもの全部落とすシィ、起きたら起きたですぐ寝椅子の下にある本探し出すからァ。音しないとかないからァ」
「綺麗な部屋でもここまで静かに起きるやつはそういないと思いますけどね……」
 俺はイズベル師の言葉に、寝椅子に乗っている本や、周辺の床を見る。イズベル師がものを落とすだけあって、高価そうなものや割れ物はこの周辺にも寝椅子にもなかった。
「落としてよかったのなら、俺も落として寝たんですが……」
「そこかよ! もっと気にしろよ、色々! 俺はまずこの部屋で寝れねぇよ!」
 俺も寝たくてこの部屋で寝たわけではない。イズベル師の魔法により眠らされたのだ。そうでなければもっと広い場所で寝ただろう。だが、魔法をかけられておらず寝る場所にここを選ぶ必要があったのなら、こういいたい。
「この汚い部屋でも快適に寝たい」
「この汚さで快適には寝れねぇよ。起きた瞬間に目に対する優しさに欠くわ」
「キミたち、もうちょっと王の魔法使いを敬って歯にいろいろ着せてもいいんだヨォ?」
 一瞬同類を見つけたという顔をしたイズベル師であったが、続いたことばに本の上にあった小さな包みを持ったまま不満そうな様子をみせる。王子にもいえることだが、敬って欲しいのならば普段からそれらしい言動を心がけてもらいたいものだ。
 俺はわざと首を傾げ、ウルは軽く笑って誤魔化した。
「だいたいネェ、仰向けで寝たら天井しか見えないから。汚いの見えないからァ。さて、動こうかねってなったときも、慣れたら足の踏み場しか探さないからァ!」
 得意げにいわれても、そのような状況に慣れたくないという感想しか頭をよぎらない。
 ウルなどは信じられないという目でイズベル師を見たあと、部屋を見渡していた。
「いや、片付けましょうよ。なんかもったいないんで」
 ウルが信じられないという目でイズベル師をみてしまうのも、もったいないというのも俺にはわからないではない。部屋をこれほど必要なものであふれさせるということが、俺たちには不可能だからだ。
 ウルは国の端に居を構える貧乏一歩手前である貴族であるし、俺は名前だけの貴族である。今も王子の護衛官としての給料など使い方がわからない。それくらいの貧乏村に生まれた。あふれるほど、俺もウルも物を持っていないし買えなかったのである。
「もったいないっていうケドォ、いるものしかないし、ちゃんと使ってるからネェ? 整理整頓ってやつができないんだヨォ」
「じゃあ、家政婦とか雇いましょう」
「家政婦サンって、お母サンみたいじゃナァい? なんか怒られてる気分になるカラァ」
 家政婦が母親のように叱るような状態を作るイズベル師に問題があるというべきか、その歳で母親に叱られるのはどうかと思うべきか、はたまたその歳にもなって母親に叱られることを忌避していることについてこうはなるまいと思うべきか。
 俺は少しだけ考えて、右手を出した。
「……とにかく薬をください。寝違えて、首どころか頭も痛くなってきたので、広いところで身体をほぐしたいのですが」
 本題にもどることにしたのだ。俺やウルが何かをいったところで、我が道しか歩まないイズベル師が家政婦を雇うことも、自ら片付けるということもない。それならば、俺の用事を済ませたほうがいいだろう。
「アラ大変。薬あげるのはいいケドォ、魔法もかけさせてネ」
 俺はイズベル師を見習って、物の隙間に足を捻じ込みながらイズベル師の側までいくと、その薬を受け取る。
 俺が歩を進めるたびに、ウルから感嘆の声が漏れるのは、イズベル師の研究室という奇跡に違いない。
「いやはや、ワタシ以外でそんなに華麗にこの部屋を歩ける人間がいようとはァ……しかも、キミ、音もなくここまでくるとか、本当に静かな子なんだネェ」
 このような何がどうなっているかよくわからない部屋であっても静かに移動できるのは、狩りのおかげだろう。俺が狩り場に使っていた場所には物が多いことはなかったが、踏んではならない場所も少なくなかった。足の置き場を探し、音を出さないよう警戒しながら歩くことも多かったのである。
「獲物が逃げてしまうので」
「ワタシはクマか何かカナァ?」
「あなたは熊ではなく、狸……いえ、狸のような繊細さはありませんね」
「本当、もう少し、頑張って敬ってくれるカナ?」
 頑張らなければ出てこない敬意というものに、俺は心当たりがない。俺はさきと同じように、わざと首を傾げた。
 実のところ、敬意についてはそれほどこだわっていないイズベル師は、指で魔方陣を宙に描きいつもの表情を浮かべる。
「頑張ってくれないと、魔法をかけられないナァ」
「嘘ですね。面白い研究対象にかけられる魔法で遊んでますものね」
「キミ、本当、カワイゲないネェ!」
 そういうわりに楽しそうに笑うのだから、性格のよさなど問うまでもない。