「ね、ロノ。兄上の楽しみでいてね」
毎晩しないのかと尋ねるような楽しみなど無くなってしまえと思わなくない。しかし、兄上の楽しみなどと言うフォー様には悪気が一つもないように見えた。
俺は助けを求めるように片手を動かす。いつもはそこにあるはずの感触がない。俺は視線を左に向け、手を元の位置に戻す。
俺が王子を護ることを優先したために、相棒のユキシロはそこにいない。
ユキシロは魔獣種のウルファという獣で、俺が村にいるときからの狩りの相棒だ。
村では男が生まれたら、必ず一人に一匹のウルファを相棒として一緒に育てる。
ウルファは狼に似た魔獣で、頭も良く、狩りも得意だ。俺たち人間といる必要のない種族でもある。
だが、何事も時と場合により例外ができるものだ。ある時他所から住みついたフロストーガという化け物どもに彼らは苦戦し、人間と協力体制をとった。化け物が死したあとも、彼らとは互いに子を、仲間を守るために契約を交わし続けた。
ユキシロは、俺が村から出た後もついて来てくれた相棒である。王子の護衛官をする際も、尾を一振りし、快諾するように俺に一つ小さく吠えてくれた。
俺の我儘で王子の護衛も付き合ってくれているというのに、こうして頼ってしまうのが情けない。
「そうですね……」
ユキシロがいなければ、そうやって苦い笑いを浮かべるしかないのも悲しい限りである。
「さー、そろそろ会議に行かないと」
「あ、それなんですが。実はロノウェと用事がありまして」
「え、またカゲナシなの?」
フォー様から離れる際、召喚術が得意なセルディナはカゲグイという幻影種を護衛につけていた。俺はそれに倣い、王子から離れる際、王子の護衛をユキシロに頼んでいる。俺があまり近寄りたくないばかりに、ユキシロに頼ってばかりいるのが現状だ。
その現状を打破するためにも、俺はセルディナとこの用を済まさねばならなかった。
「そんなこと言ってますと、カゲナシも拗ねますよ」
「え、そんなことないよね、ね?」
影に向かって話しかける王子様というのは大変周りに衝撃を与えるものがある。しかし、こういうところは兄弟ともにそっくりなのか気にするそぶりがない。
「さぁ、カゲナシの機嫌をとるのはあとにして、速く行かないとラグ様がいかがわしい遊びを始めますよ」
「やだー三人でしよって誘い掛けなきゃ」
そんなところもそっくりでなくていいのではないかと思う。しかし、残念なことにそれはいたって普通の会話であるらしく、セルディナは何も言わない。
王子様という理想の生き物は幻想の中でしか生きていないのだなと俺はこのとき理解したのだ。
「あ! ロノロノ! 隠して隠して!」
俺がまた理想と現実に悲しくなっている間に、フォー様はそのまま明るく楽しく会議室へと向かおうとしていた。だが、すぐさま戻ってきて、何故か俺の後ろに隠れる。
「……副議長にでも見つかりましたか?」
「怒ったら怖いけど、エルはよく呆れているだけで大概兄上にも俺にも甘いって違う違う。アレアレ」
身体をひねりフォー様を見ていた俺は、フォー様がこっそり指差す場所に視線を向ける。
そこには男とは思えぬ、フォー様とは違った意味でふわふわとした少年がおり、こちらを睨みつけていた。たとえるとフォー様が高級で人を幸せにする布団ならば、あちらは明らかに健康に害がありそうだがたまに食べたい甘味料を遠慮せずに入れた焼き菓子である。
「……何か悪いことをしたんですか」
「ロノって兄上だけじゃなくて俺にもちょっと容赦ないのなんでなの?」
そうでもないというように首を捻ってみせると、フォー様は唇を尖らせる。
「いっけどさー。今ね、あの子を緩やかに避けてんの。兄上にもあの調子で睨みつけてくるから、これは駄目だなぁと思って、すこーしずつ離れようとしてるんだけど、気がついたら見つけられてるの」
「それは厄介そうですね」
俺は少年の顔を覚えるために、少年を見つめ続けた。