「頼まれた」
歯を見せて笑いウルが大きく頷く。俺は少し荷物でも下したような気分になった。ほっとして、ようやく椅子に座る。その段にきて図書室内に動揺が走っていることに気がついた。
俺の前ではよくくだらないことを言っているし、表情も豊かなほうであるのだが、この学園ではウルはあまり表情を動かさないらしい。図書室内の動揺は小さな声となって俺の耳にも届き、それを教えてくれた。
「おおコワイ。男前が笑ったというだけでこんなに騒がれてしまうなんて……」
セルディナが口元を押さえてまるで他人事のように言う。セルディナがフォー様が居ない場所で他人と居ると驚かれている声は、セルディナには小さすぎたのかもしれない。
「悪いねぇ、いい男で」
ウルが表情を変えるたびに図書室には、やはり小さな騒ぎになっている。そんなことはお構いなしに、眉間に皺をつくり、セルディナが舌打ちをした。
これもいつもは見られない表情なのだろう。図書室だというのに周りがとても騒がしい。
図書室だから騒がしいと感じるというのもあるだろう。しかし、よくこんな耳に入ってくる声に気付かなかったものだ。
「意外と聞こえるな」
「音としてはな。けど、この大きさでこれだけ離れてて話の内容全部解るのはお前とユキシロくらいだから」
「そういうものか? 街は煩いし、そういうものかもしれないな」
俺は雪と山くらいしかない場所で育った。
男は猟をするために弓を、女は縫い物をするために針と糸を持つような村だ。男は猟ができなければ家族が飢えるし、女も縫い物が出来なければ嫁の貰い手がつかないといわれている。
俺は弓はそこそこしか使えず、猟のために使う魔法もそこそこだった。このままでは嫁が貰えないかもしれないと村人は皆、可哀想に思い、俺に色々教えてくれたものだ。俺は俺で、獲物を逃さないこと、狩場の変化を知ることを目的として聴力を鍛えた。
だから、うまく音を遮断しなければ、人の多いところは煩くて仕方がない。
「そういうもんだ。で、これで協力者は全部か? 今日は協力者との顔あわせとできることと現状報告だったよな」
「もう一人居る。今日は赤の魔法担当教諭の研究室を掃除しにいくとかで、欠席だ」
「そ。ま、そういうこともあらぁな」
本当に申し訳なさそうに研究室に向かったリッドを思うと、ウルの反応は冷たいくらいだ。セルディナは茶化すだけ茶化しておいて、もう話は終わったと両手の平の上で魔方陣を作り始める。
「じゃ、現状は」
「俺からいい?」
セルディナが魔方陣を作り始めたことからも解るが、既にこの会合に飽きたのだろう。セルディナのまとう空気がそれを物語る。フォー様がいる前では見せない姿だ。しかし、一人であるときはよく見られるらしい。図書室に幾つか安堵の息が落ちた。
「フォー様、ラグ様、二人ともロノウェが気に入ってくれたみたいだ。フォー様は仕方ないとしてラグ様は誤算だね。呪いがばれないように避けなきゃならなかったのに」
くるくると手の中で回る魔方陣ばかり見ていても、セルディナはしっかり俺の誤算まで報告してくれる。肘を机について手を動かし魔方陣の形を変え始めたが、セルディナの言葉は続いた。
「で、俺の協力できるのはフォー様の護衛に支障がない範囲でロノウェを助けること。あとは知らない」
知らないというと同時に魔方陣を消して、セルディナはウルを見る。早くこの場を解散させたいのか、ウルを促しているようにも見えた。
ウルはそれを無視し、ゆるゆると頬杖をつく。
「現状ってもな」
その様子は焦らしているようにも、退屈そうにも見え、図書室に放課後の開放感と気だるさが溢れた。図書室に居る生徒たちは、いつも通りになった二人にすっかり安心してしまったようだ。
それとは逆にセルディナの心には暗雲が立ち込めてきたらしい。急ぎたいセルディナの視線が険しくなった。それでもウルはのんびり机の上で徐々に崩れ、だらしのない格好になっていくだけで、話を進めようとはしない。
「……ロノウェ、俺はコレと仲良くできそうにない」
「仲良くしなくてもいいんじゃないか。それなりに意思疎通できれば」
「早くもできない」
嫌いな食べ物が夕飯に出てきた子供のような顔をして、セルディナが俺を見つめてきた。
「それはこれからなんじゃないのか?」
これにはセルディナだけでなくウルまで嫌そうに俺を見る。何か言いたいことがあるのなら、俺にではなく、言いたい相手に言えばいい。二人の視線から逃げ、顔を反らすと副議長が図書室の中央を歩いているのが見えた。
「副議長はこれから会議室だろうか」
なんとなしに呟くと、ウルが突然立ち上がる。椅子が後ろに引かれた音が、静かになっていた図書室に響いた。
大きな音が響くと、人は習性のように目を音のした方に向ける。やっと落ちついた図書室の中の生徒もそうであるし、副議長もそうだ。
図書室では静かにするという規則を守り、物音をできるだけ立てないように歩みを速め、副議長はこちらに来た。そしてウルに近づく。
「……何やってるんだよ、ウル」
「後輩をちょっと調子のってんなよってしめてるとこだ」
「そういうのは会議のない日に裏庭あたりでやればいいだろう。よりにもよって図書室でやることじゃないし、明らかに嘘だろう」
真面目な人間は、話を煙に巻く人間と対峙するとため息ばかり吐くことになる。おそらく、普段から議会議長である王子や、議員であるフォー様にも苦労させられているのだろう。一言二言話すだけで、先を思い疲れているようだった。
「本当に嘘だと思うの?」
セルディナも身を乗り出して、ウルによって溜まった鬱憤を晴らす姿勢だ。
「自分たちの身分だとか職務だとか考えたことはないのか」
俺としては、王子の近衛となるべく育てられた、王子に近しい人間に多くの情報を与えたくない。可哀想ではあるが、二人の話にのった。
「身分と職務を考えたからこそ、だと思う。副議長、俺は貴族どころか片田舎の猟師の子だ。いくら今は貴族の養子だからといって、王子をお護りするのは、調子にのっていると言われて仕方のないことだ」
王子の護衛官は、それなりに身分も必要だ。その身分を見せかけだけでも用意してもらうにも、ウル、正確にはウェンスタ家の協力が必要だった。
事件を調べている南方騎士団に所属していたことを隠したいということもあり、北方の貴族であるウェンスタ家に王子の護衛に見合う身分というものを頼んだ。だから、俺が名乗らせてもらっているジェリス家は北方の貴族で、ウェンスタ家の親戚筋にあたる。
「それは……」
真面目で格式を重んじ義理堅い、だからこその苦労性。副議長はいい人だった。俺が気にしていないことについて、言い淀む。
「とまぁそんなわけで、そう思われて当然だから、気をつけろよって、親切ぶってみたわけだ」
意外にも助け舟を出したのは、ウルだった。言い出したのはウルだというのに、助けが出たことにより副議長は簡単にウルの言ったことを信じってしまったようだ。
「そ、う……か。珍しいこともあるな」
「まぁな。遠縁とはいえ、一族に名を連ねて、王子の護衛にまでなってくれたんだ。ちょっとくらい親切にしたっていいだろ。って、わけで会議遅れる」
「わかった。伝えておこう」
うまく大義名分を得たと、笑いそうになったウルの足を机の下で蹴る。もう一本、違う足に俺の足が当たり、俺はもう一人ウルの足をこれ幸いと蹴った人間がいることに気づいた。
「ではまた後で」
痛みを表に出さぬように口を閉じたウルに一言だけ残し、俺とセルディナに会釈をして、副議長は颯爽と会議室へと向かう。騎士というのは本来ならばああいう人間がなるものだろうなと、俺はその背を眺めた。