フレーバー


正直にいうと、嫉妬らしい嫉妬はしないと思っていた。
腹がたつのは、確かに腹がたつのだが、最終的に行動に出られない自分自身にであって、ほかは勝手にしておけばいいと思っている。鬼怒川の胃袋に入るものについては大いに嫉妬をするが、それとて、俺の飯でなければ嫌だと思わせれば済むことだと思う。
だから、こうして、普通に嫉妬をしなければならない日が来るとは思っていなかった。
それはクソ山奥の男子校の特殊な事情というやつで、性交渉の無理強いという犯罪行為が起こったときのことだ。
学年がかわって、風紀委員長も変わってしまったのだが、助けに入ったのが鬼怒川だったことと、被害者が鬼怒川以外が怖いといって離れないことがあり、アフターケアまで鬼怒川が担当することになった。
一時的に部屋まで移ってしまったため俺が鬼怒川と会うこともなかったのだが、俺は鬼怒川の状態を知ることが出来た。風紀委員長をやめても、鬼怒川の噂は千里を走るからだ。
それはついに鬼怒川省吾の大和撫子が判明したという噂である。
「俺、あの大和撫子さん知らないんだけど」
新一年生として入ってきた大和撫子は、友人の筧に不評だ。俺に険のある声で責めてきた。
不良だなんだと言って怯えていた頃が懐かしい。卒業した筧の恋人の影響か、長年同室者であった慣れなのか、俺に対する態度はいつもいいとはいえないものだ。
「大人しい、控えめ、出しゃばらない、人をたてる、料理上手、美人、健気、鬼怒川省吾が好き。条件はそろえてるじゃねぇか」
食堂からの帰りに見かけた鬼怒川は、弁当の空箱を噂の大和撫子に返していた。
俺以外の作ったもの食いやがってと文句の一つも言ってやりたいところだが、二年のときにした約束の効力は既に切れている。しばらくというのは、年をまたぐほどの時間のことではなかった。
「確かに、大和撫子の呼称は知らない人のがふさわしいと思うけど!まるで彼女みたいな彩り鮮やかな初々しいお弁当作ってくるような子だけど!誰かさんと違って美人可愛くて態度も可愛くて守ってあげたい感じだけど!」
筧の話を聞く限りで俺の勝てそうなのは鬼怒川の食生活くらいのもので、もしかしたら勝てるかもしれない性的なことについては解らないが、現在の大和撫子にそれ望むのは酷というものである。だから、比較しようもない。
「アレなら可愛い恋人になってくれそうじゃねぇか」
「なんでそんな普通なの?」
「そりゃあな」
恋人に奪われる位置にはいないと思う。俺と鬼怒川は世間一般では恋人と言えたかもしれないが、それとは少しずれた位置に関係がある。
「俺もああいう可愛いのなら恋人にしたかもしれねぇし」
だが、鬼怒川があの手の可愛いといわれるタイプの人間であったのなら、俺は部屋で遭遇しても無視を決め込んだし、胃袋を支配しようとも思わなかっただろう。鬼怒川は、あの面で、あの態度で、甘味が好きで、無駄なエロさがあってこそ面白い。
一つ欠けても駄目だと断言したいところだが、少し付き合いが長くなってしまったから、それだけでは少し切り捨てがたい。
「恋人じゃないの?」
「普通は恋人だろうな」
好きだの愛してるだの言い合うような柄でもない。だが、当たり前に俺も鬼怒川も互いを所有物だと思っている。
「だったら、嫉妬しない?」
「それなりにしているが」
あの弁当はうまかったのだろうかだとか、いつになったら鬼怒川はやらせてくれるのかだとか、逆にやってくれるんだろうかだとか、禁欲が長いと俺も機嫌が下降する。
「してるようにみえないんだけど」
嫉妬は表に出さないだけでしている。
一年のクラスまで大和撫子を送っていく鬼怒川の後姿を眺めながら、このまま鬼怒川が俺の所有物であることを忘れてしまったときのことを考えると苛立つ。
奪い返せばことは済む。それ以前に、鬼怒川が大和撫子を愛だの恋だのいう感情で見ているようにも見えない。けれど、何かきっかけがあれば、あの野郎は何事もなかったようにいなくなるんだろう。
そのきっかけが大和撫子ではないと誰が言える。
俺が現在暇であるというのも良くない。長期休み中バイトをしている間、鬼怒川にあわなくても、話さなくても、今のように長い期間だと感じることがなかった。
暇ゆえに、嫉妬をしてしまっている。
それでもつくろっていられるのは、鬼怒川があくまで大和撫子に接するとき、先輩面もせず、礼節を重んじる華族のような振る舞いをするおかげである。
丁重に扱っている様子が、まるで他の人間に接するときと違うがために、大和撫子本人だという噂に信憑性を与えてしまっていた。
大和撫子はあれを優しいだとか、素晴らしい人と感じるのかもしれないが、俺はあれを胡散臭いの一言で終わらせることができる。
「あいつはそうじゃねぇよ」
ぽつりと零してしまった言葉は、友人に拾われなかったようだ。
筧は相変わらず、悔しそうに鬼怒川と大和撫子を見ていた。
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