リップは薬用


 一種の事故で志川とキスをした。
 俺は真剣な顔をして、机の上に肘をつく。
「薬用リップを買うべきか……」
「そういう問題か」
 勢いよく机に手をつくと、俺は目を見開いた。
「憧れの君の唇がガサガサとかがっかりするだろう! よく考えてみろ、初めてあの人としたキスは柔らかくてとか思い出に残るものにしたいだろう!」
 生徒会室にあるでかくて存在感のある机の前に存在しているソファーの上で項垂れながら、志川が頭をおさえた。
「ある意味思い出には残ったし、感触なんぞおぼえてねぇよ」
「そうか、それなら、もう一度しようか。だが、今したらがさがさか。いや、唇の記憶が引き出す合図になるくらい濃厚なキスをすれば」
「そんな気ねぇからやめろ。本当やめろ」
 頭から手を離し睨んでくる志川は、相変わらず素晴らしい男前だが、最近は常に眉間に皺が宿っている。
「まさか、志川。お前ほどの男がキスは本命とじゃなければ嫌だとかそんな乙女思考も持っていないだろう」
 あまりに俺との事故キスを気にしている様子であるから、思わずそういうと、志川から舌打ちが飛んできた。
 そこまで俺とキスしたのが嫌なのだろうか。
「……男とキスする予定は生涯なかったっつうの」
「ああ、なんだ。男とはファーストキスだったか。それはよかった。俺も男とは初めてだ。奪っちゃったーってやつだな」
「……事故ならしかたねぇと思える範囲だが、事故でしたのがてめぇだっつうのが」
 残念で仕方ないという様子の志川を見て、俺の脳裏にある素敵な可能性が掠めた。
 しかし、その可能性はほぼゼロだろう。
 俺のポジティブながらも優秀すぎる頭脳がすぐに結論をだしたが、俺はそれを声にする。
「俺と事故でしたというのが気に食わないのか。それならそうと早く言ってくれれば、堂々と」
「すんな」
 やはり、志川は事故でキスしたことについてどうこうは思っていないらしい。
「やれやれワガママなやつだな、こんな優良物件を前にしてキスの一つや二つで」
「お前は事故物件だ」
「事故キスだけにか」
 おかしいことをいうなという顔をされた。俺のユーモラスを理解しないとは、新人類である。さすが俺の愛してやまない志川だ。軽く無視してくるところが照れ隠しのようで愛しい。
 わかっているが、そういった事実はもちろん、なかった。
 ポジティブ思考が俺の頭脳の優秀さに完敗である。
「ちょっと他の生徒に羨ましがられてしまうくらいのことだぞ」
 それでも俺のポジティブさはごねた。他の反応をだすことにより、いかに俺とのキスがいいものであるかを伝える。
「ちょっとじゃねぇよ。あの転校生よりひでぇことになる」
 転校生よりひどいことというと、あからさまなヅラを気の毒げにみないようにみないようにとするようなひどさだろうか。
 俺はあの転校生が若ハゲである可能性にいつも心を痛めている。 そうでなければ、あんなオシャレのオの字もないようなヅラをかぶる理由がわからない。いや、もしかしたら、転校生にとってはあれがオシャレなのだろうか。
 隠すためにヅラをかぶるにしてもこの金持ち学園のことであるから、もっとあっていいはずだ。普通に考えてもそれなりに気を使うはずである。
 俺は転校生の新たな疑惑を胸にそっとしまいこむ。
 ドンマイ、転校生、センスは磨けばどうにかなるはずだ。心の中で語りかける。……もし、転校生のそれが趣味であるというのなら、俺とはお友達になれないが、それもまた一興だろう。
「アレよりひどいことにはなりようがないから安心しろ」
「なるだろうが! てめぇの親衛隊の規模なめてんのか!」
 髪の毛ばかりに気をとられていたらしい。一本とられたような気分になりながら、俺は納得して頷く。
「ああ、そうか。やっかみを心配しているのか。安心しろ。お前を俺の部屋に連れ込んだ時点で既に処女喪失についての疑惑が」
「どっちのだ……!」
 どちらの大切なものが失われたのかという疑惑については、俺も親衛隊とやらに聞いてみたいものだ。




next/ iroiro-top